一二三庵 とは
「一二三庵 」は、 四季折々の恵みの中から生まれた日本料理と悠久の時間を経て育まれてきた年中行事を共に学ぶ日本料理専門の料理教室です。
ミシュラン東京で二つ星を4回・一つ星3回と連続で獲得した 一二三庵の店主 粟飯原崇光が基礎から食文化の薫り高い日本料理を丁寧に楽しくお伝えします。
どうぞお気軽にご参加くださいませ。
こだわり
- 器
- 世界に誇る日本の焼き物文化にふれていただくために、古伊万里・備前・信楽・越前焼きなどの作家ものの器を使用。料理や盛りつけとともに日本の「器」についても学んでいただけます。
- 新鮮な食材
- 旬の食材本来の味を知っていただけるよう、一二三庵が厳選した新鮮な食材を使用して稽古します。
- しつらい
- 料理とともに四季の室礼に触れて学んでいただくことで、本当の意味での「和のおもてなし」を会得していただけます。
- 雰囲気
- 学んだお料理を客間に席を移して召し上がっていただきます。同じ時間をともにする方々と親しみ、会話を楽しむことでご縁が生まれる場でもあります。
生徒さんの感想
- 一二三庵 に入会したきっかけ
- お茶を習っているのですが、毎年初釜の時に懐石料理をいただきます。その懐石料理の味が忘れられず、私も心のこもった奥深い味のある日本料理を作ってみたいと思い一二三庵に通い始めました。
- 一二三庵 の魅力
- 和食器に料理を盛り付けてテーブルコーディネイトを考えたり、 教室の隅々までに和のもてなしが素敵に飾られたりしていて、 料理以外にも人をもてなす和の心が学べるところ!
- 日本料理を習ってよかったこと
習ったお料理を家族や友人にふるまうと「美味しい」と喜んでもらえることが私の喜びにもなっています。化学調味料の料理より、自然のお出汁で作った料理は何倍品があって美味しいとわかったこと。
- 今後の目標
- もっともっとお料理上手になることです。
一二三庵は月に1度、私の心と身体がリフレッシュできる大切な場所です。
- 一二三庵 日本料理教室に入会したきっかけ
- 友人の紹介
- 一二三庵 神楽坂日本料理教室 の魅力
- 先生が作る楽しい雰囲気、知らなかった使い方を知らなかった食材が沢山。食器の種類が豊富。美味しいお料理が作れる。
- 日本料理を習ってよかったこと
- 日本人だと言う事に自覚が持てて、誇りを持てる事。
微妙な味付けがとても難しいって事を知りました。とても深い。 - 今後の目標
- 食材ひとつひとつの特徴についてもっと勉強したいです。
- 一二三庵 日本料理教室に入会したきっかけ
- 日本お料理には前から興味がありました。家では作りますが自己流になってしまうのでプロの方にぜひ習いたいと思っておりました。インターネットで日本料理教室を探していたところ、一二三庵のホームページを見つけました。職場から近いこともあり体験にうかがったのがはじまりでもう2年以上通っています。
- 一二三庵 神楽坂日本料理教室 の魅力
- 教えていただくお料理はいつもおいしくて、お家でも作ってみようと思うのがありますし、また自分では思いつかない食材の組み合わせを教えてくださるので楽しいです。 盛り付けのときのお皿選びも魅力の一つです。
- 日本料理を習ってよかったこと
-
レシピをはじめ、包丁の動かし方、野菜の切り方まで色々習えますし、その季節の旬のものも教えてくださるので、とても勉強になります。 毎日の献立にとても役にたっていて主人にもおいしいと好評です。
- 今後の目標
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家でもたまには手のこんだお料理をつくること。もちろん教えていただいたレシピの中でですが。
日本料理教室の流れ
一二三庵 日本料理教室の基本的な流れをご紹介します。*日本料理専科クラス
- 1.準備
- 各自用意したエプロンをつけ、料理教室開始です。 まず、レシピの読み合わせ、材料や手順の確認、素材についての説明がおこなわれます。 参加者からは、気軽に質問も寄せられます。
- 2.下ごしらえ
- 調理のポイントなどを説明しながら、材料の下ごしらえなど実習します。
- 3.手順のデモンストレーション
- 講師のデモンストレーションをご覧いただきながら、調理の手順を学んでいただけます。
- 4.盛り付け
- 完成した料理は、参加者ひとりひとり、盛りつけます。
- 5.できあがり
- できあがり。 今後の参考にするために、講師の盛りつけを写真に撮る参加者も。
- 6.試食
- 場所を移して、つくった料理を試食します。 実習内容への質問なども交え、参加者同士会話が弾みます。
神楽坂について
日本料理と日本文化を、粋で華やかな町“神楽坂”で学ぶ。
「一二三庵 神楽坂日本料理教室」が位置するのは、神楽坂の静かな住宅街。
江戸時代には武家屋敷が並び、明治時代(1868-1912)をむかえて町人の町となった神楽坂は、大正時代(1912-1226)には花街(芸者などが住んでいる町)として発展。
昭和(1926-1989)初期には、六百名を超える芸者が華やかに行き交い、何十件もの料亭や髪結い、履物屋などが軒を連ねていました。
「吾輩は猫である」「坊ちゃん」などで知られる世界的文豪・夏目漱石も通った寄席もありました。
第二次世界大戦後、最盛期と比べると、芸者衆の数や料亭は少なくなりましたが、神楽坂で育まれた“粋”な文化は、石畳の狭い路地や古くからある店のたたずまい、そして、なによりも町の人々の暮らし方や心意気、「おもてなしの心」として今に受け継がれています。